武蔵野美術大学
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(左から)君塚賢・増子由美・米谷ひろし 評判・口コミ

(左から)君塚賢・増子由美・米谷ひろし

評判・口コミ・評価・レビュー星5つ

武蔵野美術大学 (左から)建築学科・女子美術短期大学造形科・工芸工業デザイン学科
(左から)1998年・1988年・1992年

個性的な3人のコラボレーションで、まだ誰もみたことのない空間の創造をめざす。

イタリア・ミラノで、毎年春に開催される世界最大級の国際家具見本市「ミラノ・サローネ」。期間中は市内のいたるところでさまざまな展示やイベントが行われ、街がまるごとデザイン一色に染まる。このサローネで注目のイベントが、世界中の若手インテリアデザイナーの憧れの舞台であり、登竜門ともなっている「サテリテ」だ。ここではデザイナーが自ら展示ブースを開設し、自分たちの提案を世界に向けて直接発信することができる。ただし「40歳未満、出展は3回まで」という条件があり、また世界中から押し寄せる応募の中で、厳正な審査を通過しなければならない。この狭き門を通り抜け、3度目となった2005年には、みごと最優秀賞を手にした日本人のデザインユニットがある。米谷ひろし、君塚賢、増子由美の3人で結成された「トネリコ」だ。

3人で始める、ということ

トネリコの結成は2002年。中心となった米谷は、ムサビの工芸工業デザイン学科インテリアデザインコースを卒業後、世界的なインテリアデザイナー・内田繁が主宰する「スタジオ80」で経験を重ね、10年目を迎えて独立を考えていた。

「でも、一人きりでやるということは全くイメージできませんでした。スタジオで働いているうちに、チームで仕事をするスタイルにすっかり慣れてしまった。ですから相談できて、一緒に考えてくれる人がぜひとも必要でした」

所長と所員という上下関係ではなく、対等に意見が言える人、つまり一緒にトネリコをつくり育てていってくれる人、そこで米谷が白羽の矢を立てたのが君塚だった。

君塚はムサビの空間演出デザイン学科に学び、3年次で建築学科に編入している。といっても「建築」に転向したのではなく、インテリアデザイナーをめざして、より深く空間を学びたいという思いからの転科だったという。少し年の離れた2人は、君塚がスタジオ80にアルバイトに来たときに知り合っていた。

増子との出会いもやはりスタジオ80だ。1995年イタリア・ミラノで行われた「方法の記憶」展の設営で、担当だった米谷は、内田繁のパートナーであるコーディネーター・山田節子のアシスタントとして参加した増子と出会う。増子は女子美術短期大学造形科出身。気持ちのいい空間と美しい食器が好きで、山田に師事した。また女子美在学中には、吉本ばななの『キッチン』をはじめとする著作の装幀も手がけたという多彩な経歴の持ち主だ。

「私はどちらかというと異業種です。でも師匠同士が組んだ福岡の『ホテルイルパラッツォ』などの仕事を見てきました。ですから食器のデザインやコーディネートなど、私にもできることがあるんじゃないかな、と参加を決めました」

こうして米谷を中心に、かたやムサビの先輩と後輩、かたや師匠同士がパートナーであるその弟子たち、そんなユニークな3人がひとつ屋根の下に集うことになった。

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