武蔵野美術大学
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卒業生の声

武蔵野美術大学

種田 陽平 評判・口コミ

種田 陽平

評判・口コミ・評価・レビュー星5つ

武蔵野美術大学 油絵学科
1982年
美術監督

日常と非日常、リアリズムとファンタジーが交錯する。そこには、映画にしかない世界がある。

映画の脚本はシンプルに構成されている。台詞を中心に、登場人物の行為や、彼らをとりまく状況が、ごく簡潔に記されているだけだ。小説で言うところの情景描写は、ほとんど存在しない。いわば骨組みである。

そんな映画の世界を決定的に左右するのが映画美術だ。美術監督は、監督の意向を踏まえたうえで、それぞれの映画に固有の風景を、まったくのゼロから立ち上げる。脚本を読み込み、監督と討議を重ねることによって生まれる虚々実々の世界…。

種田陽平は、今もっとも注目を集める美術監督である。その仕事は、国内のみならず、海外での評価も高い。種田は1960年生まれ。幼少時からマンガやアニメといったメディアに親しんできた世代だ。

「子供の頃はマンガ家になりたいと思っていました。絵と物語が一体化しているところに惹かれていたんでしょうね。小学校6年生のときに、下級生向けにオリジナルの紙芝居を作ったことがあって、それがかなりウケた。そのときの盛り上がりは今でもよく覚えています」

年を追うごとに、絵を描くことへの興味が本格的なものへ成長し、高校時代、種田は美大進学を決める。自宅近くのアトリエでデッサンを学び始めたのも、その頃だ。

武蔵野美術大学への入学は1979年。村上龍が自作の『限りなく透明に近いブルー』を映画化した年だ。ちなみに村上は、ムサビ在学中の1976年、同作で小説家デビューを果たしている。

「龍さんの登場には刺激を受けましたね。そうそう、数年後、やはり龍さんが自作を映画化した『だいじょうぶマイ・フレンド』の現場で美術助手のアルバイトをしたとき、『ムサビ出身なんだって?』と声をかけてもらったことがあります。他愛もない出来事ですが、けっこう思い出に残っています」

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