文化服装学院 スタイリスト科
2004年
デザイナー
YELLAW
YELLAWデザイナーへ抜擢されることに
2011-2012年の秋冬コレクションより、メンズブランドYELLAW(イエロー)のデザイナーに就任した横尾さん。すでに3年目を迎えるこのブランドのデザイナーを引き継ぐことになったわけだが、そのきっかけは人との繋がりによるものだったという。「知人を通じてYELLAWの次期デザイナーを探しているという話を受けたのがきっかけです。今までデザイナー職だったわけではありませんが、自分自身、作る側に関わってみたいと感じていたタイミングでした。そこで、話だけでも聞いてみようとこのブランドを手掛ける会社の代表と会うことになりました」そこで初めて会った代表とも意気投合し、話し合いの結果、横尾さんがデザイナーに就任することとなった。
古着屋で培った、服に対する審美眼をいかして
スタイリスト科に在籍していた学生時代、横尾さんはスタイリストを志し、憧れのメンズスタイリストのアシスタントに応募するが、年齢の若さなどを理由に断られてしまう。そこで以前から、古着が好きでよく通っていた「ヌードトランプ」に入社をしたいと思うようになった。人気のショップへの入社希望者は多く、さらにその当時、女性スタッフしか取らなかったという狭き門だったが、ちょうど男性スタッフが辞めるというタイミングもあり、横尾さんが採用されることとなった。入社後、販売をしていたが半年後には、海外への買い付けに同行するようになったという。「販売をしながら、月1回くらいのペースでアメリカへ行くようになりました。初めはただついて行くだけで精一杯でした」。販売からバイヤー業務、そしてスタッフをまとめていくような重要な役割まで、多くの経験を積むことになった。
販売、バイヤー、そして物作りの現場へ
ヌードトランプで多くの服に関わっていくにつれ、横尾さんの中で「服を作る側」への興味が徐々に沸いてきたという。周囲にもそのことを話してしているうちに、YELLAWデザイナーへの話が舞い込んできた。デザイナー職をしてきたわけではなかった横尾さんだが、そこにためらいはなかったという。「全部初めてのことでしたが、今までのYELLAWのイメージを引き継ぐ必要性はなく、自分自身の好きな世界観を作り出していいということだったので、知らないことだらけでも楽しく物作りに挑むことができました」という。好きな古着をベースにしたデザインを取り入れたデザイン画を描き、制作を依頼するOEM会社との打ち合わせをこなしていく。初めて出会うOEM会社のスタッフとも気が合い、そこから物作りに対する多くのことを学んだ。「自分の頭の中にあるものをイメージ通りに伝えるのは難しいですね。作り手ともっとコミュニケーションを取ってそのあたりを強めていきたいです」。
ディテールにこだわった物をもっと追求していきたい
今シーズンが初披露となった横尾さんの新生YELLAW。全40型を展開し、評判も上々だ。特に魅力的なのが横尾さんの私物コレクションからサンプルを提案して作り上げた、こだわりのスクールジャケットだ。「年代でいうと1860~1930年代のものが好きで、買い付けに行っていた前職のときに、商品以外に私物として購入したものがたくさんあります。それらが今、サンプルとして役に立っています」。例えばストライプ柄が印象的なイギリスのスクールジャケットは、私物で30着くらいのコレクションがあるという。1930年代くらいまではストライプがプリントされていて、'40年代以降になるとストライプが織りのものに変化していくことなど、その時代の豊富な知識にも驚かされる。「その当時の形のおもしろさやディテールへのこだわりなど、YELLAWにどんどん取り入れていきたいですね」。
開拓していくこと、人脈の広がりを大切に
今は、次のシーズンへ向けてやりたいことが山積みだという。「もっと縫製工場さんを探していかなければと考えています。それによって作れる物の幅がぐっと広がっていくはず。小物を制作する会社や生地会社もそうです。ボタンなどもオリジナルを作りたいし、開拓していくべきことは山ほどあります」。それにはやはり人脈が大事だという横尾さん。学生時代からの友人とは仕事で関わることも多く、またデザイナー職となった今、わからない部分を聞くこともあるそうだ。「いいものを作りたいと思ったときに、周囲に協力してくれる人がいることで自分が願う方向に必ず進めます。学生時代から友人とのつながりや、文化以外でのコミュニケーションも大事にしてほしいですね」。
※この取材内容は2011年7月時点のものです。
【参照元】文化服装学院HP Next