中村アン-インタビュー
(2014.08.11UP)
メディアで活躍する先輩に聞くインタビュー企画。TV、雑誌、ドラマ、CMなど幅広く活躍中の中村アンさんです。
―まず、高校時代の話を聞かせてください。当時から音楽を志していたんでしょうか?
「音楽をやりたい」という気持ちがありつつも、そこに向かって進んで行く勇気がもてなくて...
そうですね。バンド一筋の生活をしてましたから。
高1のときから、バイト代もぜんぶ音楽に使ってました(笑)。ただ、家が厳しくて「大学に進学しないと、音楽は続けさせない」と言われていたので、勉強も平行してやっていましたけど。
僕はあんまりやってなかったですね…。進級も危ういくらだったんで(笑)。僕も「大学に行ったほうがいい」と言われたんですが、まったく耳に入ってなかったですね。
私は「音楽をやりたい」という気持ちがありつつも、そこに向かって進んでいく勇気が持てなくて、すごく悩んでましたね。「大学に行って、視野を広げるのもいいんじゃない?」というアドバイスもいただいて、3年のときはちゃんと受験勉強をやっていました。
―大学に進んでみて、どうでした?
家族や大学の先生も「やりたいことがあるんだったら、
がんばってやったほうがいい」って言ってくれた
進学して良かったと思いましたね。経済学部を選んだのですが、最初は「ここで勉強して、就職することになるのかな」と思ってたんです。でも、家族や大学の先生も「やりたいことがあるんだったら、がんばってやったほうがいい」って言ってくれたし、バイトやサークル活動を含めて、たくさんのことを得られたんですよね。あの4年間がなかったら、違う自分になってただろうなと思うくらい、大きな経験でした。就活を目の前にしたときに「やっぱり自分は音楽がやりたい」という気持ちを確かめられたのも良かったですね。
僕もいまになって、「大学に行ったほうが良かったかも」と思うようになったんですよ。大学でいろいろな人と付き合っておけば、社会に出てからがラクなんですよ、たぶん。僕はどちらかというと、狭いところで生きてきたタイプなので。
僕も学生時代、もう少しいろいろな人と交流を持てば良かったなと思いますね。
バンド活動のなかでも、人間関係で挫折したこともあって。
―ふるっぺさんと森さんは、高校在学時に組んでいたバンドでYAMAHA主催のTEEN'S MUSIC FESTIVALで優勝。
その後、デビューを果たすわけですが、バンドが解散したときは挫折感も大きかったんじゃないですか?
そうですね。「もう音楽が出来なくなるかも」と思ったので。
そうですね。「もう音楽が出来なくなるかも」と思ったので。
かなり絶望的でしたね。音楽がいちばんで、それ以外のことは興味がなかったので。「人生、終わった」みたいな気持ちになるまで落ち込んだし…。でも、そこから「ひとりで出来ることは何だろう?」って気持ちを切り替えたんですよ。前のバンドのときに映画に出させてもらったので、演技の勉強したり、ひとりで曲を作り続けたり。いろいろとやっていくなで、「やっぱりバンドがいいな」と思い、ボーカルを探すことにしたんです。
―MEMEさんとはmixiのコミュニティを通して出会ったんですよね?
100人以上と連絡を取って、1年くらいかけて50人以上に会ったんです。
最初は身近なところで探したり、知り合いから紹介してもらってたんですけど、なかなか見つからなかったんですよね。mixiではすごく反応があって、100人以上と連絡を取って、1年くらいかけて50人以上に会ったんです。カラオケで好きな曲を歌ってもらったので「こういう曲が流行ってるんだな」とか「カラオケで歌いやすいのは、こういう曲なのか」って、いろいろ勉強にもなりました(笑)。
―MEMEさんとボーカリストに迎えることにした決め手は何だったんですか?
「絶対に歌手になりたい」という強い意志を感じたんです。
歌はもちろんなんだけど、人としてのパワーが大切というか。
歌詞をまっすぐ届ける歌声だったり、笑顔のステキさだったり。あと、「絶対に歌手になりたい」という強い意志を感じたんです。たくさんの人に会ってたから、見た瞬間、気合いが入ってるかどうかわかるんですよね。歌はもちろんなんだけど、人としてのパワーが大切というか。とにかく、ボーカリストして頼もしいなと思いました。
自分でやらないと前には進めないし、夢は夢のままで終わってしまう。だったら、少しずつでもいいから進んでいこうと思うようになって。
高校のときは最初の一歩がなかなか踏み出せなかったんですけどね。「まだ実力が足りないから、ひとりで練習しよう」みたいなことを自分で決めてしまって、オーディションを受けることができなかったり。
でも、自分でやらないと前には進めないし、夢は夢のままで終わってしまう。だったら、少しずつでもいいから進んでいこうと思うようになって。このふたり(ふるっぺ、森さん)に連絡を取るときも、「プロでやってた人たちだから、私なんてダメだろうな」と思ってたんですけどね(笑)。
この3人になってからも、いろいろと試行錯誤があったんですけどね。
いまの形になるまでに1年くらいはかかったかな?
YouTubeに曲をアップして、そのときに“ケラケラ”という名前を付けて。ライブハウスでライブをやってたんですけど、なかなかお客さんが増えなくて、路上ライブを始めて…。
―3rdシングル「友達のフリ」も、もともとはYouTubeで人気を集めた曲なんですよね。
まずはいろんな人に自分たちの曲を聴いてもらいたいな、と思ったんですよね。しばらくして、周りの人から「再生数が増えてるよ」って言われて。
ライブに来てくれる人が「YouTubeで見ました」って言ってくれたり。
いろんな場所で路上ライブをやるようになったも大きいですね。最初は渋谷だけだったんですけど、町田や大宮でも曜日を決めてやるようになって。
でも、デビュー直前までは「たくさんの人に聴いてもらっている」という実感はなかったんです、正直言って。
(2ndシングル)「スターラブレイション」をリリースしてから、少しずつ変わってきた感じがしますね。初めて行く場所でもお客さんが待ってくれていたり。
―これまでの試行錯誤も報われた?
そうですね。無駄なことはひとつもなかったなって思います。
そうですね。無駄なことはひとつもなかったなって思います。ボーカルを探していた時期に作った曲も、10月にリリースされるアルバム(1stアルバム「ケラケライフ」)に収録されるので。
―アルバムがリリースされると、ケラケラの魅力がさらに広く伝わっていくと思います。将来的にはどんなバンドになっていきたいですか?
私自身も友達に助けられてきたんですけど、ファンのみなさんにとって、親友みたいな存在になりたいんです。
聴いてくれる方々の日常の一部になりたいですね。生活の支えになるようなバンドになれたら、すごく嬉しいなって。曲を作る人間としては、親子で聴けるような曲を届けていきたいです。
お茶の間で愛される、親しみやすいバンドになりたいですね。僕らを見たり、曲を聴くだけで、笑顔になれるような。
私自身も友達に助けられてきたんですけど、ファンのみなさんにとって、親友みたいな存在になりたいんです。つらいときは一緒に泣いたり、楽しいときはカラオケで騒いだり。そういうい関係を作りながら活動を続けて、私の地元(東京都調布市)にある味の素スタジアムでライブができたらなって。
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